Web業界進化論 実践講座#10 〜デザイナーに最も必要なデザイン思考と主体的コミュニケーション〜 セミナーレポート
Web業界の最前線で働くロールモデルの方々からキャリアを学ぶ「Web業界進化論 実践講座」。その第10弾となる今回は市角壮玄氏をゲストに招き、デザイナーが身に付けるべき「デザイン思考」や、デザインとコミュニケーションの関係について語られた。
講師プロフィール
市角 壮玄氏
ビジネス・ブレークスルー大学 准教授
HOXAI(ホクサイ)アートディレクター / デザイナー
千葉県生まれ。アートディレクター・映像クリエイター。BBT大学(大前研一学長)経営学部 准教授。国内外でブランディングやWeb、映像制作、デザインの仕事に携わりつつ、クリエイティブ業界での知見を活かしデザイン思考による問題解決や映像、デザインの研修を担当。第一園芸(株)、(株)アマナ等での社内研修プログラムを担当。東京都創業支援施設Startup Hub Tokyo講師。自身でデザイン思考を用いて創出したプロジェクトVEGESUSHIの関連書籍はAmazon一位(和食部門)。NYやパリ、ベルリンなど世界中でエキシビションとワークショップを行う。
趣味は旅と料理。好きな動物はしろくま。欠点は無くし物と忘れ物が多いこと。
デザイナーが身に付けるべき「デザイン思考」とは
セミナーの前半は、「デザイナーが不要になる?」という疑問から始まった。動画撮影や編集がスマートフォン上で完結するようになり、最近ではロゴやWebサイトをデザインできるWeb上のサービス、ツールも生まれている。デザインの心得がなくても一定以上の成果物を作れるようになり、市角氏は「いよいよツールで作成できるデザインのレベルが『58点』くらいまできた」と話す。
市角氏:多くの非デザイナーの人にとって、「58点」から上の優劣を見分けるのは難しいもの。こうしたツールでデザインを済ませる企業も増えてくるでしょう。ただ一方で、「AIによってなくなる仕事」にデザイナーが挙げられることはほぼありません。その理由のひとつが「デザイン思考」にあると考えています。
デザイン思考は、「優秀なデザイナーやクリエイティブな経営者の思考法を真似ることで、変化の激しい時代に対応する新しい発想を生み出す手法」として注目され、最近は関連するビジネス書も多く出版されている。
デザイナーが普段行っているプロセスを体系化し、デザイン以外の領域にも使えるようにしたものがデザイン思考だ。ならば、デザイン思考のエッセンスは、そのままデザイナーの「武器」にもなるはずである。
市角氏:デザイン思考は「人間の“気持ち”に寄り添う」ことを根幹としています。相手に寄り添い、観察によってニーズを見つけ、試作を繰り返しながら考える。ビジネスパーソンには目新しいことかもしれませんが、デザイナーの皆さんなら誰しも経験されていることでしょう。つまりデザイナーは、すでにすごい武器を身に付つけているわけです。
相手に寄り添い、共感するためには、コミュニケーションが欠かせない。ここで市角氏は、コミュニケーションには2種類あると話す。
一般的な「コミュニケーション力(コミュ力)」は、社交的だったり、人前で流暢に話せたりする力を指すことが多い。言わば「発信型」のコミュニケーションである。対してデザイン思考で必要となるのは、相手の話を聞き、その気持ちを察する「受信型」のコミュニケーションだ。
市角氏:「自分はコミュ力がないからデザイナーに向いていない」という人もいるかもしれません。でも、むしろ「引っ込み思案」「自分の話をするのが苦手」という人のほうが、受信型のコミュニケーションを得意としています。不安に思うことはないので、自信を持ってもらいたいですね。
前半の最後に、市角氏は自身がデザイン思考で成果を出した例を紹介した。
それは「野菜の寿司」。海外を旅しているとき「日本文化は好きだが、ヴィーガン(完全菜食主義者)なので魚が食べられない」という人が多いことを知り、デザイン思考を経て作ったものだという。SNSにシェアしたくなる見栄えも話題になり、書籍の出版やメディア出演も果たした。
市角氏:外国人でも簡単に作れるように押し寿司にするなど、共感や観察といったプロセスがうまくかみ合って生み出せた事例です。このように、デザイン思考はデザイン以外でも応用が利くメソッドなので、ぜひ身に付けてもらえたらと思います。
デザイナーが持つ「秘められた力」を生かす
後半のテーマは「デザインとコミュニケーションの関係」。ここで市角氏は、自身のルーツを振り返った。
学生時代に作ったWebサイトがきっかけで、大学卒業後にフリーランスのデザイナーとなった市角氏。だが最初の数年はまったく仕事がなく、「風呂なしアパートに住み、スーパーの廃棄食品をもらって食いつないでいた」という(詳しい経歴は、事前インタビュー「デザイナーという職業は、多様な可能性を秘めている」をご覧ください)。
市角氏:時間だけはあったので、ひたすら自分でデザインをしたり、いろんな場所に顔を出したりしていました。知人からの依頼で、看板やポストカードなどを細々と作っているうちに、仕事が徐々に増えてきたんです。頼まれごとをフットワーク軽く引き受けたことで、徐々によい関係性が築けていたのだと思います。
コミュニケーションの取り方にも変化が生まれた。当初は「絶対こっちがいい」と思うデザインがクライアントに選ばれず、釈然としないことも多かったという。だが経験を積み、それは「自分の気持ちを押しつけているだけ」と気づいた。
市角氏:クライアントとしては「今はビジネス的に攻め時ではないから無難なものを選ぼう」と判断することもあるわけです。相手の気持ちに寄り添えば、それに見合った提案もできる。「よいデザイン」とは、単なる成果物の善し悪しではなく、丁寧なコミュニケーションによって「作るべき制作物のピントがあっている状態」なのだろうと思います。
相手に寄り添う「受信力」は、顧客とのコミュニケーションに役立つばかりではない。社内においても、「話しかけやすい雰囲気を持つ」「アドバイスを素直に受け入れる」といった姿勢でコミュニケーションを図れば、チャンスが回ってきやすくなる。さらに人間関係においても「相手はなぜ怒っているのか?」と気持ちを推し量ることができれば、解決に近づきやすくなるだろう。
市角氏:一般的に、デザインは「ものづくりの最終工程でなにかを綺麗に整えるもの」と思われがちです。でも、デザイナーにはそれ以上に「秘められた力」があります。たとえば、TwitterやSlack、Pinterestなど名だたるIT企業は、デザイナーかデザインの教育を受けた人が起業したもの。この変化の激しい時代に、デザインの力はもっと生かせるはずです。
そこで市角氏がすすめるのが、「社外でのデザイン活動」だ。
たとえば「デザイナー以外のコミュニティに入る」など、デザイナーがいない場所を探せば、何らかの仕事を頼まれる可能性が高くなる。まさに市角氏がそうだったように、頼まれごとをフットワーク軽く引き受ければ、多くの経験が積めるだろう。それは自分の仕事にも、今後の自分自身にも生かせるに違いない。
クライアントの夢も自分の夢も、両方叶える日が来るまで
セミナーの最後は「明日から簡単にできるデザイン力向上Tips3つ」という内容で締めくくられた。
1つめは「言語化する」。街で見かけて「いいデザインだな」と思ったものについて、「どうしていいデザインだと思ったのか」を言語化するトレーニングだ。また、「なぜこれが流行っているのか」「なぜこれが売れ残っているのか」と、デザイン面から原因を考えるのもよい勉強になるという。
2つめは「異文化に触れる/旅をする」。コロナ禍で海外旅行がしづらい状況だが、自分とまったく趣味の違う人と話してみるだけでも、異文化に触れる経験になる。経験した幅の広さは、そのままデザインの幅に反映されるはずだ。
3つめは「自分のスキをコラージュして理想に近づける」。仕事で「100%自分好みのプロダクト」を作ることは難しい。そこで、いいなと思ったものを写真に撮ってコラージュし、自分の中にぼんやりとある「理想型」に近づけていく。この作業を繰り返せば「自分が作りたいものはこの辺にある」と把握できるようになるという。いわば自分自身とのコミュニケーション力を磨く作業。
市角氏:デザイナーとして、クライアントのビジネスも成功させたいのはもちろん、自分の好みを反映した「すごいもの」を作りたい、という欲もありますよね。その両方を叶えられるようなキャリアの積み方を心がけると、これからの人生が楽しくなるかなと思います。
セミナーは参加者の質疑応答で締めくくられた。寄せられた質問からいくつかピックアップして掲載する。
デザイン思考はどんな人でも身に付きますか?デザインのセンスがない人でも、デザイン思考は獲得できるのでしょうか。
日々のトレーニング次第で向上します。
企業でデザイン思考のワークショップをしていると、企画部だけでなく、経理部や接客担当のチームも面白いアイデアを生み出すことが結構あるんです。いわゆる「非クリエイター」の方でも、普段使わない頭の部分が刺激されることで、面白い発想が生まれるのかもしれませんね。
デザインは、スポーツに似ていると思っています。いきなり上手にできる人もいますし、毎日の筋トレやトレーニングの積み重ねで上手くなる人もいる。デザイン思考も同じで、相手の話を聞いたり、相手のことを推し量ったり、日々のトレーニング次第で向上すると考えています。
海外でデザインの教育に携われていると聞きました。海外をはじめ、これまでとは違う環境で仕事をするには、何をきっかけにしたらいいのでしょうか。
デザイン以外の「とっかかり」を作るのが大切。
実は2010年くらいに、初音ミクの音楽サークルのメンバーとして、CDジャケットのデザインに関わっていたんですね。それで海外の日本コンテンツ系イベントにゲストで呼ばれて、現地で友達ができたのが最初のきっかけです。デザイナーだと名乗ると珍しがってくれて、その後「和風のデザインを作りたい」といったときに思い出してくれました。
また、野菜の寿司を作ったあとは、「面白い寿司を作ったデザイナー」として友達が増えました。いきなりデザイナーとして売り込むよりも、デザイン以外の“とっかかり”がまずあって、「実はデザイナーです」と続いたほうが、仕事に繋がりやすいですね。珍しがられる何かを見つけるのは、海外に限らず、別の業界と仕事をするときも大切だと思います。
気難しい方と仕事をすることもあると思いますが、乗り越えるためのテクニックなどありますか?
一回「そうなんですね」と言ってみてください。
何か問題が起きたとき、人はすぐに解決したがる癖があります。気難しい方に何か言われたとき、説得しようとしたり、感情に訴えようとしたりするかもしれません。でもここはぐっと堪えて、一回「そうなんですね」と言ってみてください。
この「そうなんですね」を口にすることで、まず自分の高ぶりを押さえる。そうしたら次は「なんでこの人はこう考えたんだろう」と寄り添います。前回と今回でなにか事情が変わったのだろうかとか、誰かほかに決定権がある人が現れたのだろうかとか、いろんな方向から探りを入れて引き出す。そのためにも、「そうなんですね」で一旦冷静になりましょう。
セミナーを終えて
市角氏は独学でデザインを学び、クライアントとのコミュニケーションに試行錯誤を続けてきた。その結果、自分がやっていたことが「デザイン思考」に結びついていたという。
紙の上の理論ではなく、実体験を通じて語られた「受信型のコミュニケーション」は説得力があり、デザイン以外の有用性も感じることができた。デザイナーにとっては、まさにすぐに使える「武器」となっただろう。
これからも「Web業界進化論 実践講座」はさまざまなゲストを招いてお送りする。ぜひ今後の講座内容にも期待してほしい。