僕に見えている世界を多くの人へ。心が感じた「見るがまま」をどう表現するかが私のクリエイティブ ―― November, Inc. 柘植泰人氏インタビュー

技術や実績よりも表現したい「何か」があるか。映像コンテンツ制作にはこれまでにない可能性が秘められている。

ディレクターや撮影技術者など、映像制作に携わるクリエイターは少なくない。しかしその中で「映像作家」と呼ばれるパーソナリティは極限られた存在といえるだろう。商業映像として完成度の高い作品をつくるだけでなく、そこに自身の世界観やアイデンティティを見せることができるクリエイターのみが映像作家と呼ばれるのだ。

そんな映像作家の一人として近年注目を集めているのが柘植泰人氏である。無名時代に自身のプロモーションを兼ねてVimeoで公開した日本の風景を紹介する映像コンテンツ「旅シリーズ」で、誰もが「自身の原風景」と感じるような映像表現に、百数十ヵ国以上の視聴者からの大きな反響を得て話題に。その後TVCMや映画制作などでも知られる国内大手映像プロダクションからのCMの映像監督のオファーをきっかけに、さまざまなコマーシャルや企業ブランディング、プロモーションなどの映像コンテンツを手がけ、ディレクターとしてその才能を開花させている。

今回はそんな柘植氏にインタビューの機会をいただき、これまでの経緯や仕事のスタイルの変化、会社というクリエイターにとっての環境について聞いてみた。

プロフィール紹介

柘植 泰人(つげ やすひと)
November, Inc. 映像ディレクター

1983年愛知県生まれ。大阪芸術大学映像学科中退。
2012年にVimeoで公開した日本の草津、京都、美濃などの風景を収めた映像「旅シリーズ」が反響を呼び、その後ディレクターとして数多くのコマーシャル映像を手がける。2015年11月にフィルムスタジオ「November, Inc.」を同社代表の山田翔太氏とともに設立。オリジナルコンテンツ制作をおこないながら、企業ブランディング、プロモーション、ショートフィルムTVCMなどの制作活動に取り組んでいる。代表作はMTV VIDEO MUSIC AWARDS JAPAN 2016「BEST VIDEO OF THE YEAR」を受賞した宇多田ヒカル「真夏の通り雨」。

アルバイトの日々の中、幼なじみに誘われ上京を決心。徐々に歩み始める映像を仕事としていくための道

── 今回はインタビューにご協力いただきありがとうございます。ナショナルカンパニーといわれる大手企業のTVCMからあの宇多田ヒカルさんMVまで。映像が醸し出す空気感、世界観で多くの人を魅了する柘植さんはどんな経緯で今のポジションで仕事をされるようになったのですか?映像と関わるきっかけから教えてください。

柘植氏:高校時代から映像をつくる仕事がしたいと漠然と考えていました。それで映像を専門に学べる大学に行こうと思いました。実家が愛知で、映像をやるなら東京ということになるでしょうから、大学は大阪がいいんじゃないか。何か「目指す人」とか、「こうすれば映像に携われる」というビジョンもなくて、このころは「なんとなく」ですべてを決めていたように思います。大学の講義も自分が面白そうだと思うものしか出なくて、アルバイトや仲間との遊びの方に夢中で。今の映像制作の活動を考えると、その基盤には大学での2年間で得たものも確かにあります。でも映像をやるのなら、何も卒業しなくてもいいんじゃないかと、当時の僕は考えました。

学校を辞めて愛知の実家に戻ってアルバイトの日々。そのアルバイトというのも映像とは全く関係なくて。それでも自分はいずれ映像の仕事をするんだという思いだけは消えていませんでした。映像の演出で何かのプラスになるのではと俳優の養成所に通い、アルバイトをするという日々を2年間過ごしました。

そんな僕に東京で仕事をするきっかけとなったのが幼なじみでした。「東京で会社を立ち上げたので一緒にやらないか」と誘われたのです。幼なじみのほうは、僕が大学で映像をやっていたということを知っていて、新しい会社で取り組みたい分野の一つとして考えていたようで、すぐに何か仕事ができるというわけではありません。それでも、いよいよ何かをはじめなければと思っていた僕はその言葉を受けて上京を決心しました。

東京に移ってからは幼なじみの会社から業務委託を受けたり、自分でもフリーでブライダル撮影の仕事を請け負ったりいました。バンドのライブビデオや、店頭で流す商材のビデオなど、かなりの低予算で撮影をしていました。機材のレンタル料を引くとほとんど利益が出ない。そんな仕事ばかりでしたね。それだけではとても食べていけなくて、東京に来てからもやっぱりバイト三昧の日々。そろそろ実家に帰ろうかと思っていた時期に、今度は幼なじみがWeb制作会社を立ち上げて、本腰を入れて映像制作にも取り組むことに。2009年に僕も映像制作担当としてその会社の社員になったのです。

── 会社の正規メンバーになったわけですね。状況は好転してきましたか?

柘植氏:まだまだです。(笑)しかし僕にとって画期的な収穫もありました。それはほぼ自由に使える機材を手に入れることができたということです。当時急激にUstreamの仕事が増え、社内でもカメラを新たに導入しようということになったんです。僕が選んだのはキヤノンのEOS 5D Mark IIというデジタル一眼レフカメラでした。デジタル一眼によるムービー撮影が、映像制作のスタイルを一変させたのはクリエイターの皆さんならご存知のはずです。スチール用カメラのレンズがつくり出す映像は、これまでのムービー用のカメラがつくる絵とは全く違う表現力を持っていました。

「このカメラだと、どんなふうに取れるんだろう。」と、僕はテストを兼ねてプライベートで遊びに行った江ノ島でカメラを回してみたんです。すると、自分の思いに近い映像が素直に撮れたんです。編集してみて、音楽を当ててみて、今までに無い手応えを感じました。それは会社での評価も同じで、草津を撮ってみよう、次は京都を、という感じで「旅シリーズ」がはじまったのです。

作品は人に見てもらわなければ意味が無い。プロが大資本でつくるしかなかった映像分野で「身近な奇跡」をおこす

── そこで海外から日本の原風景を捉えた映像として反響を呼び、国内の映像プロダクションから声がかかったというわけですね。

柘植氏:「旅シリーズ」をとある有名ブロガーが取り上げてくれて、いきなり多くの仕事が舞い込むようになりました。デジタル一眼レフを使ったムービー撮影は、これまでの業務用ムービーカメラから考えれば随分コンパクトで、フットワーク良く一人でかなりのところまで撮影できます。そして交換可能な多彩なレンズ群による表現の奥深さは、ムービーカメラでそれを実現しようとなると生半可な機材では不可能です。これまで大手制作会社にしか不可能だった映像表現が、小規模な企業や個人でも可能になりました。そんな機材ができたからこそ僕にも作品をつくるチャンスができたのです。そしてVimeoのようにそれを世界に向けて誰もが発表できる場がある。映像は今やクリエイターが「身近な奇跡」を起こせる格好の舞台になっているのではないかと思います。

「旅シリーズ」の発端となる「江ノ島」を撮ったとき、会社の宣伝になるとか、自身のプロモーションになるとか、そんな考えすらなくて、自分が他の人にも見て欲しいと思える映像を撮ることができたと感じました。それが今の仕事につながる自分らしさ、自分のテイストの原点になっているのだと思います。

会社での仕事が忙しくなると同時に、僕個人への映像監督としての仕事が増えていきました。流れが変わったのはTVCMはもちろん、映画制作も手がける大手映像プロダクションのプロデューサーから声が掛かったときからです。そこから僕にとって仕事における劇的な変化が起こっていきました。

── 失礼な言い方かも知れませんが、クリエイターにとってのシンデレラストーリーといえるかもしれませんね。

柘植氏:「僕のつくった映像作品がそのプロデューサーの目に止まったのは本当に幸運でした。ほんの1,2年前まで、アルバイトで食いつないで、いつ実家に帰ろうかと考えていた僕ですから、それは確かにシンデレラストーリーといえるかもしれませんね。そしてこの広告映像の世界で僕のブレイクスルーとなったのがGLOBAL WORKのCMの映像監督だったのです。

この瞬間から僕の仕事のスタイルが180度変わりました。それまで企画も考える、撮影もする、編集もするで、基本的になんでも一人でやるのが僕の映像制作でした。しかし、僕がこの仕事で任されたのは映像監督で、CMの企画自体は既にでき上がっていて、その演出をおこなうのが映像監督です。出演者や撮影クルー、編集クルーも全部揃っていて、監督は自分が何にこだわりたいかを選択できますが、何もやらなければ何もできないまま仕事は進んでいってしまいます。僕はアテンドしてくれたプロデューサーにはもちろん、既に監督を経験している人や周りのクルーを捕まえて「監督は何をすればいいんですか?」と、その都度プロデューサーや近くにいるスタッフに聞いていました。

できあがるのは同じ映像作品でもつくり方は全く違う。それが僕にとってこのスタイルで仕事をする最初の壁でした。たくさんの人々の協力を得て、僕がつくりたいと思っている映像を実際につくっていく。僕がこの仕事をする上で映像業界での制作の仕組みをはじめて知ることができたのがGLOBAL WORKのCMの映像監督というお仕事だったのです。

ついに宇多田ヒカルのMVのオファーが。彼女が登場しないMVで、彼女の世界観をいかに表現するかの挑戦

── 2016年にはついに宇多田ヒカルさんの「真夏の通り雨」のMVを担当されましたね。どんな状況で仕事を受けられたのですか?

柘植氏:前の会社で一緒だった山田とNovember, Inc.を立ち上げて、大手のCMや企業ブランディングの仕事を手がけてある程度仕事も安定して入ってきていました。「柘植さんのテイストで」という依頼も多く、うれしかったです。そんな時、宇多田ヒカルさんのMVの依頼がきたのです。いくら業界で評価されはじめているといっても「あの宇多田」です。依頼された僕が一番驚きました。もちろんそんなチャンスは二度とありません。重圧は感じていましたが、いっそのこと自分にとって「これしかない」と思える世界を表現しよう。そう考えてこの映像制作に取り組むことにしました。

ただ一つ、普通のMVと違うところは、宇多田さん本人がコンセプト的にもスケジュール的にも出演不可だったということです。正直に言うと当初は1カットでも良いから出て欲しかった(笑)。だからこそ宇多田さんの音楽の世界観を宇多田さんの姿の映らない映像でどう表現するかを必死で考えました。

真夏の通り雨 from TS,Jp on Vimeo.

── 柘植さんの映像作品を見ると、カメラで撮るのだから特別なのではなく、人が普通に見るシーンに情感を込めるのに心血を注がれているように思います。ほんの一瞬しか映らないカットに強い力がある。「真夏の通り雨」のMVでは花火大会のシーンがありますが、花火そのものより、影になる樹木に目がいったり、電線が入っていたり。MVの撮影となれば、「花火がきれいに見えるポジションで」となりそうなのを、本来の人の目線を考えて、その情感を再現されているように感じました。

柘植氏:だって夏休みの花火大会って、実際には電線にかぶりながら見たりするじゃないですか。きれいに配置された映像よりも、そんな絵の方が本当の人の思い出に触れられるのではと考えてこのときは映像をつくりました。このMVは一つひとつのカットを写真のように並べていくことをコンセプトにしていて、これは僕が撮らなければならないと思い、ロケ地を少人数のチームで撮って回りました。レコード会社から受けた企画のイメージをベースに、演出・撮影・編集まで、その時に自分にできる最高の映像を目指して仕事をしました。

クリエイターはどこにいても自分次第で仕事を変えることができる

── 映像作家として、憧れられるポジションで仕事をなさっていますが、現状にどんな感想をお持ちですか?

柘植氏:自分でも信じられないようなところからチャンスを得ました。そして現状を見れば確かに仕事は成功しているように思えます。しかし映像監督に次の仕事がある保証はどこにもありません。次の作品が見たい、次の作品を任せてみようと思ってもらえる作品をつくり続けることが必要です。私は多くのクライアントから「柘植さんのテイストで」「旅シリーズのような感じで」と仕事を依頼されるようになりました。しかし僕自身は自分のテイストが固まったものだとはまだ思えない。映像制作をやりたいと思ってこの道に進みながら、僕が一番辛いのはまさに映像をつくっているときなのです。クリエイターの仕事への感覚はそれぞれだと思いますが、私は決して映像制作という自分の仕事を「楽しい」とはいえない。作品を生み出すには少なからず苦しみがともなっているのです。

── クリエイターとして企業で働くことをどのように捉えていらっしゃいますか?最後に転職を考えるクリエイターにメッセージをお願いします。

柘植氏:前職から今のNovember, Inc.に関して、私自身が感謝から得ているメリットは確かにあります。でもそれはクリエイターが仕事をする上での前提条件というわけではないように思います。大切なのは自分がどのようなスタイルでどんな仕事をしたいか。クリエイターとしてどんな表現を目指すかです。会社は環境と捉えて積極的に活用していけばいいのではないでしょうか。自立した気持ちでクリエイティブに臨むなら、転職でもっと自由な気持ちで自身のポジションを変えていけるはずです。

インタビューを終えて

インタビューをおこなった新宿エルタワーの高層階で新宿の街を見下ろしながら「あ、○○ビルが見えますね。あそこでアルバイトをしていたこともあるんですよ」と気さくに話してくれた柘植氏。まだ30代前半でありながら気鋭の映像作家として活躍する同氏から気負いは感じられない。

誰が見てもどこか懐かしい。それは日本人の感覚かと思いきや、世界の人々がその映像に琴線を揺らされるという。柘植氏の映像には人の心の最も深い部分に届くなにかがある。それを実感してもらうにはここで言葉を重ねるよりも柘植氏の作品を実際に見てもらうしかないだろう。

シンデレラストーリーといわれるほどの幸運が確かにあった。しかしそのきっかけをつくったのは間違いなく柘植氏の作品であり、そのチャンスに結果を出したのは柘植氏のクリエイターとしての新たな局面での対応力に他ならない。一流クリエイターといえば大手出身が多い業界にあって、強力なバックボーンを持たない柘植氏の活躍は映像クリエイティブの分野での世界的な可能性を感じさせる。この記事を読むクリエイター諸氏も、同氏の今後の活躍にぜひ注目して欲しい。

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