私たちが手にするやりがいは、いつも私たち自身の予想を越えるものへ ―― ニジボックス 上野由夏子氏インタビュー
Web・ゲーム業界のキーパーソンを特集する「Creator's File」Vol.01
第一線で活躍しているクリエイター達のリアルな声をお届けしています。自分とは異なった環境で働くクリエイター達の熱意や考え方を、ぜひ、あなたらしいキャリア形成のためにお役立てください。
「インターネットのモノづくり」をテーマに、リクルートグループの実証実験機関「Media Technology Lab」から2010年に分社化され、誕生したのが株式会社ニジボックス。日本のデジタルコンテンツ制作の最前線にあって、絶えず新たな提案をおこなう同グループのサービス開発会社ニジボックスの魅力を、同社のWebディレクター上野由夏子氏に自身のこれまでの体験を交えて語っていただいた。
「自分が本当になにをやりたいのか」それを知るために他社経験も含め数年が必要でした。
── 今回はマイナビクリエイターの制作サイドインタビューにご協力いただきありがとうございます。まずはニジボックスとの出会いについて教えてください。
上野氏:私は大学・大学院でフランス文学を学び、卒業後2011年にニジボックスに就職しました。しかし、そのまま現在までWebディレクターをやっていたわけではありません。入社後1年半で一度ニジボックスを退職し、地元の九州に帰って、全く違ういろいろな仕事をやっていたのです。公務員の臨時職員や、ベンチャー企業の広報担当、店舗・サービスの紹介サイトの入力オペレーションとその案内などがそれでした。ニジボックスを退職してからちょうど2年後の2014年の11月。以前の仲間の誘いもあって、この会社にWebディレクターとして復職したのです。
── ニジボックスへ就職。そして転職。さらに復職されるまでの経緯は?
上野氏:大学院を卒業するとき、私が最初に就職したいと思ったのは商社でした。学んだフランス語を活かせるのではと考えたのです。しかし就職活動の中で企業研究をしてみると、商社では経験がものをいい、10年、20年とキャリアを積まないと個人の能力がなかなか発揮できないと感じました。そこで成長速度が速いWeb業界に興味を持ったのです。参加した会社説明会でこの会社に出会いました。説明会では企画からプレゼンまでの疑似体験を先輩社員のアドバイスを得ながらおこない、この会社の持つモノづくりのノウハウにとても興味が湧いて就職を決めました。
入社後に配属となったのは企画営業で、大手から中小企業まで、様々なクライアント企業と直接コミュニケーションできる仕事は楽しかったです。しかし、当社のサービスはインターネットを用いたあらゆるサービスにチャレンジできる反面、当時は商品としてカタチになっているものがまだ少なく、実際に営業として「売る」のは当時の私にとってとても難しかったです。プレゼンのために膨大な資料を制作しつつも結果に結びつかない...。
すごく悩んだ時期でした。答えが出ず、だんだん自分の中で、なんか違うかもと思うようになり、「地元に帰って頭を切り換えよう」と考えこの会社を退職しました。地元に帰ってからは前述のとおり市役所で臨時職員として働いたり、商業施設の運営をおこなうベンチャー企業で広報の仕事をしたりしました。そして、この2年間は私にとって暗中模索の時代でもありました。「自分が本当になにをやりたいのか」を考えずに転職してしまったことで、必ず仕事に対する疑問が頭をもたげてきて、閑職であっても激務であっても納得がいかないまま仕事をしていたように思います。
地元にいる間に3つの仕事を経験しましたが、結局「これは自分のやりたかった仕事ではない」と結論することになってしまいました。それなら「自分が本当にやりたい仕事とはなんなのだろう?」私はそんな基本的な疑問から再び転職活動をはじめたのです。
上野氏のニジボックスでの退職から復職の経緯
- ニジボックスでモノづくりやコミュニケーションの面白さは感じたものの企画営業として「売る」難しさに直面し、悩んだ。
- 自分の中で、やりたいことの答えが出ず、退職を決意。
- 地元で様々な仕事を体験するも打ち込むことができず「自分が本当にやりたい仕事」を再び探すことに。
一度は就職していながらも見えていなかったニジボックスの常に「ピボット」するビジネススタイル
── 一度退職したニジボックスに、今度はどんな希望をもって復職されたのですか?
上野氏:地元での仕事の経験から、自分がやはりモノづくりをおこなうことに強い関心があることを改めて気づきました。そんな時に、以前ニジボックスで働いていたときの仲間から「Webディレクターとしてニジボックスに戻らないか」と誘われたのです。
ニジボックスを退職して2年が経っていたこのとき、私の仕事に対する視野も随分と変わっていました。2年前にはただ与えられた仕事に取り組むだけが精一杯の私でしたが、今は会社がどんな方向に向かっていて、そのために自分がなにをすべきかを考えられるようになっていたのです。そのサイズで会社と仕事を見つめ直したとき、ニジボックスという会社の他にはないビジネスの方向性が見えてきました。
Webが世の中に広がってまだわずか数十年。その間に私たちは他の分野ではありえないほど急速なWebの進化と普遍化を見ています。様々なメディアやアプリケーションが次々と開発され、その機能の高度化、多様化は、既存の技術を一気に陳腐化させるほどのスピードを持っています。ニジボックスという企業が追い求めているのはこのWebの進化に対応できるスピードです。そのためには、既存の手法やビジネスに固執するのではなく、「インターネットのモノづくり」というテーマを軸足に、常に時代の先端を走れる変化をピボット的に続けることを企業の方針としているのです。
「変化を楽しむ」「まだ正解のない全く新しいものにチャレンジする」これがニジボックスで働くクリエイターに必要なマインドです。私はニジボックスへの復職を考えたとき、この仕事のスタイルがまず「面白い」と思いました。新卒時に感じたWebが成長速度の速い業界であるという漠然とした印象だけでなく、ニジボックスが次の時代への変化を促すスピードそのものを創造するビジネスをおこなっている会社であるということに、仕事に参加する意義と強い魅力を感じたのです。
また、今回の復職がWebディレクター職としての採用だったことも私がこの仕事にチャレンジしようと考えた大きな理由です。自分の本当にやりたかった「誰もが見たことのない新しいモノづくり」に正面から取り組める。このことが私を地元から飛行機に乗せ、もう一度東京での仕事に向き合せる理由となったのです。
── 2年間でニジボックスよりもご自身が変わられたのでしょうか?
上野氏:私が新卒で入社した2011年は、ニジボックスが分社化により誕生してからわずか1年弱です。既に多くの可能性をもった事業に取り組んでいたと思いますが、残念ながら当時の私には計り知れなかった部分も多かったのではと思います。しかし、現在のニジボックスが私にとって働く職場として強い魅力を持っていることはなにも私が変わったからばかりではありません。ニジボックス自体も日々進化し、今のスタイルへと変わってきているのです。
退職してから2年後にもう一度ニジボックスに出会えたことは間違いなく私にとっての幸運でした。そしてこの2年間の経験がなくては、私はニジボックスでもう一度働くという選択をできなかったと思います。
上野氏が改めて感じたニジボックスの魅力
- インターネットのモノづくりをおこなうための高い先進性
- 既存の手法やビジネスに固執せず次の可能性を常に模索
- ピボット的に変化を続ける企業の面白さと強さ
- 目線が変わったことによって気づいた全力で取り組める仕事の魅力
先を行くからこそ難しい。「辛い」を「面白い」に変えるニジボックスでの私の仕事術。
── 現在はWebディレクターのグループリーダーとして活躍されていることと思います。復職後の2年間ではどんな経験をされましたか?
上野氏:復職してすぐは、教育係として先輩Webディレクターがついてくれ、仕事のやり方など細かく指導してくれました。まずは一つの案件を先輩Webディレクターがつきっきりで一緒にやってくれる。次の案件はアドバイスをもらいながら自分主導でやってみる。その人のもつスキルやキャリア、案件の規模や難易度にもよりますが、基本的にニジボックスの新人Webディレクターはこのステップを踏んで仕事の幅を拡げていきます。
私がWebディレクターとして変わり種だったのは、基本となった既存のスキルが企画営業だったことです。クリエイティブな職種であるWebディレクターは、ニジボックスでもライティング、デザイン、コーディングと言ったクリエイティブなスキルをもった人がなる場合が多く、それぞれ自分の得意分野を活かして仕事をおこなっています。私の場合、これが強いといえるクリエイティブスキルはありませんでしたが、営業時代に得たお客様と直接コミュニケーションするという経験を強みとして仕事をおこなった結果、これが武器となり、Webディレクターとしてトータルに仕事をしていくためのスキルをそれに徐々にプラスしていくことができました。
お客様がニジボックスに期待するのは、既存のサービスをそのまま使うのではなく、Webをテーマとしたこれまでにない「なにか」です。そのためには私たちがこれまでにない提案をおこなっていくのはもちろんのこと、新しいサービスを、お客様と共に創造していく必要があります。お客様の要望を徹底的にヒヤリングし、それを当社のクリエイティブに伝えて新たな提案を行っていくには、深いコミュニケーションが不可欠です。私はこのコミュニケーションスキルに重きを置いて自分の仕事を拡げていきました。
ニジボックスは社歴や年齢に関わらず、意欲とそれを実行する力のある人には重要なポジションをどんどん任せていく会社です。私はいくつかプロジェクトをクリアしたあと、2016年の4月にグループリーダーになりました。復職からわずか1年半のことです。その理由は私が周りのメンバーに驚かれるほどお節介だったから。(笑)自分のプロジェクトだけでなく、他の人のプロジェクトにまで首を突っ込み、進行状況を気にしてしまう。自分にできることならどんどん手を出し、わかることなら口を出してしまう。そんな私の性分をわかってくれた会社が、私にそれが可能なポジションを与えてくれたのです。
グループリーダーになって10ヵ月が過ぎ、相変わらずプロジェクトを飛び越えて仕事をしていた私ですが、今ではマネジメントの意味が少しずつわかりはじめてきました。その一つは「人は失敗から多くを学ぶ」ということです。自分自身の経験から考えても、私は数え切れない失敗をして現在の仕事をおこなっています。それなのに私はプロジェクトの些細なトラブルも看過できず、なにか問題が起こると自ら動いて対処してしまっていました。それはとりもなおさず担当Webディレクターの失敗して学ぶチャンスを奪っていたことにもなります。思い返せばそれが私のグループリーダーとしての失敗でした。私もこの失敗から学び、これからのマネジメントに活かしていきたいと考えています。
── 最後にニジボックスでの仕事の面白さについてと転職を考える人へのメッセージをお願いします。
上野氏:私はグループリーダーとしてマネジメントをするだけでなく、今でも自身が担当するプロジェクトを持って、Webディレクターとして仕事をしています。もちろん、困難な事もありますが、一つひとつクリアしていくことはこの仕事の面白さです。決して諦めることなく、プロジェクトの完遂に向けて一歩一歩進んでいきたいと考えています。
私たちの会社は、常に全く新しいチャレンジをおこないながらビジネスを展開しています。それだけに、クリエイティブは絶えず学び続け、最新情報を獲得し、新しい「なにか」を提案し、創造し続けなければなりません。それだけに各プロジェクトは一筋縄ではいかず、クリエイティブに対する負担も大きいです。それでも私たちはまだ誰も見たことのない全く新しいサービスを創造することに強いやりがいを感じています。自分たちの手がけたものがかたちとなり、お客様に喜ばれ、はじめて社会に受け入れられたとき、私たちが手にするやりがいは、いつも私たち自身の予想をも越えるものなのです。
インタビューを終えて
若くしてニジボックスのWebディレクターのグループリーダーを務める上野氏のこれまでの道のりは決して平坦ではない。現在の仕事に対する高いモチベーションも、これまでの経験が背景にあってこそのもの。
新しいモノをつくり出す企業には「生みの苦しみ」とでも言うべき、困難な仕事が存在する。それを担うクリエイターにはその困難に立ち向かえるスキルとモチベーションが不可欠。しかしその困難を乗り越えたときの喜びは、他では味わえないものだということを上野氏は教えてくれた。
ニジボックスはそんなクリエイターとして喜びを存分に体験することのできる数少ない企業の一つである。日本のWebコンテンツ制作の先端を走り、常に変化し、5年後、10年後には今とは全く違うビジネスを展開しているであろうニジボックスから今後も目が離せない。
この記事を書いた人
マイナビクリエイター編集部は、運営元であるマイナビクリエイターのキャリアアドバイザーやアナリスト、プロモーションチームメンバーで構成されています。「人材」という視点から、Web職・ゲーム業界の未来に向けて日々奮闘中です。